村上龍 ニューヨーク・シティ・マラソン 9

 村上龍「ニューヨーク・シティ・マラソン」や「悲しき熱帯」の魅力の1つは、物語の舞台が海外であり登場人物も現地の人である点だと思います。日本が舞台で日本人が主人公だったのなら?

 これらの作品集の主人公たちはみな異端者です。日本は異端な者を受け入れないですよね。見て見ぬ振りをするというか、存在自体がなかったかのごとく無視しますよね。そういう場所では劇的な変化なんて起きないですよ。日本が舞台で日本人が主人公だったら、最初の数行でそれで終わり。物語は何も始まらないです、変化を嫌うから。

 飛べないスーパーマンは飛ぼうなどとは思わないし、狂ったミュージシャンは鐘の音を巨大スピーカーでは鳴らさないし、ナンシーは走ろうなんて決して思わないだろうし、ニキは家に閉じこもり、産卵体はそれ自体が出現しない。

 これらの物語を日本で無理やり展開したら、重苦しいんだろうなぁ。「ニューヨーク・シティ・マラソン」「悲しき熱帯」、クールですよ!