村上龍 愛と幻想のファシズム 6

 村上龍「愛と幻想のファシズム」。今日はゼロについて。日本という国のシステムに対して嫌悪感を抱いている点で、トウジとゼロは同じです。それが「狩猟社」結成となるのですが、その後適者生存という思想のもと「狩猟社」をリードし破壊に突き進んでいくのがトウジで、落胆の度を深め混迷していくのがゼロです。

 非常にシンプルなトウジに対してゼロは掴み所がありません。躁と鬱、大人と子供の顔が常に交差し、現実と幻想の区別がありません。読者はそんなゼロを想うとき複雑な想いにかられてしまうのです。この作品を単なるエンタテイメイトに終わらせてないのは、紛れもなくゼロの存在です。

 僕はゼロが大好きです。物語の冒頭でのある場面、ここでのゼロの姿を見て一発で好きになりました。

 それはトウジの薦めでキングサーモンを釣る場面です。事前の準備がないために、普通の革靴とスーツで水温4度のナックナリバーに浸り、右の親指の感覚がその後何ヶ月も戻らなくなるまで、6時間もの間けっして釣りを止めようとしなかったゼロの姿です。結局1匹も釣れなかったんですけどね!