村上龍 テニスボーイ・アラウンド・ザ・ワールド (6)

 先日の予選会で、長男のテニスプレーが突如として変わった。当の本人は「自分は覚醒した」と云う。戦闘もののヒーローが、かつてない強敵に対し今まで顕在化していない能力を伴い姿形を変貌させるイメージらしい。

 当然だが、どう見ても姿形は以前と同じ。技術にしても一夜にして向上するわけがない。長男を変えたのはメンタルの部分である事は間違いない。

 予選会の前日に行われた団体戦、長男達は圧倒的強さの前回優勝ペアに当たった。弱小テニス部はこの状況をどう捉えたのか。実は先生達は安堵し喜んだらしい。不調の長男に丁度いい。何故なら敗けて当然、どんな惨めな試合をしてもマイナス点が付かず、ヘタに善戦しようものならプラス点、ゼロ以上が保証されたゲームだからだ。先生はくどいほど長男にそう言い聞かせた。

 全てのプレッシャーから開放された長男は、あまりに伸び伸びとプレーしたものだから、ついうっかり1セット取ってしまった。試合に敗けたにもかかわらずチームが大騒ぎになったのは言うまでもない。これが覚醒の秘密だと思う。