村上龍 ユーカリの小さな葉 (2)

 村上龍の「ユーカリの小さな葉」の中には、東日本大震災の直後にニューヨーク・タイムズに寄稿した「危機的状況の中の希望」が含まれている。一昨日また読んでみたのだが何度読んでも感動する。

 震災直後、僕は間違いなくこの文章に救われている。他にも救いとなるようなものがTwitter 等に散見されたが、この文章の存在は絶大だった。特に最後の一文「希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。」の力強さは、当時の状況の中でこれ以上ないベストなものだったと思う。

 希望の国のエクソダスの「何でもあるが、希望だけがない」と、この「根こそぎ奪われてしまったが、希望の種はある」とではどちらがいいだろう。その人の置かれている状況は前者の方が圧倒的に良いはずなのに、希望と云うたった一文字の有無によって、後者の方が格段に良い印象だ。

 希望という言葉は一種のマジックだと思う。モノクロだったものに色彩が加わるようなものだ。希望さえあれば何とかなるのだろう。