村上龍 ユーカリの小さな葉

 僕は希望という言葉が大好きだ。もちろん村上龍の影響による。あんまり好きなので、無闇矢鱈と口にしてしまう。僕のような人間が軽々しく口にした結果、僕の周りでは希望という言葉の重みがなくなった。

 村上龍は「ユーカリの小さな葉」の中で、希望というのはどうしようもない境遇に置かれた時に必要とされるもので、満ち足りた日々を送っている者はそもそも希望を求めないというような事を書いている。確かにそうだ。

 常日頃、希望、希望と叫んでいる僕は、つまり満ち足りていない事になる。ところで満ち足りているとはどういう事だろうか。客観的にみて不幸と思えない境遇の者にとって、それは単に個人の主観によるはずだ。ようは気の持ちようなのだ。現に友人の中に自分に希望はいらないと断言する者もいる。羨ましいと思う。僕は性格上、満ち足りていると思う事はこれからも一生ないと思う。生涯、希望を叫び続ける事になる。

 というか、希望の意味を僕は取り違えているのか?