村上龍 櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。

 村上龍の最新エッセイ「櫻の樹の下には瓦礫が埋まっている。」が届いた。すべての男は消耗品であるシリーズのVol.12 にあたる。櫻の樹の下に瓦礫とは、なかなか意味深で強烈なタイトルだと思う。

 村上龍が東日本大震災についてふれると僕はとても安堵する。ニューヨーク・タイムズへの寄稿文や「ユーカリの小さな葉」はもとより、JMM の中でちょっと言及しただけで何故かとても安心する。今回のエッセイのタイトルに瓦礫という単語が使われているのを知った時、実はとてもうれしかった。

 僕は長野市に住んでいる。長野市は被災地ではない。中部電力管内だから切迫した節電ムードもない。そして知らず知らずのうちに、長野県は瓦礫の受け入れを拒否した。僕の周りで東日本大震災の事が話題になることは皆無になった。そのままなんとなく日々が流れていく。

 村上龍は東日本大震災の事を忘れていない。きっとその事で僕は安堵するのだと思う。だからといって僕に出来る事もそうないのだが。