村上龍 オールド・テロリスト (3)

 「エクソダス」では希望だけがない日本だったけれど、震災後、希望だけが残った日本を描こうとしているのか?

 村上龍「オールド・テロリスト」の昨日の記事に対して、上記のようなコメントを貰った。なるほどと思った。同じ文藝春秋の連載で、しかも同一の登場人物によって物語が進められる。エクソダスとテロリストは繋がっている。そして東日本大震災を受けての危機的状況の中の希望、ここでエクソダスを引用して希望の種を植え付けたと村上龍は結んだ。

 希望だけがないエクソダスと希望しかないテロリスト。東日本大震災を挟んで、2つの作品は綺麗に並んだ事になる。対を成しているのだ。時間軸で対峙しているだけではない。テロリストはエクソダスのその後であるばかりでなく、エクソダスに対する新たな答えなのかもしれない。

 東日本大震災はありとあらゆるものを変貌させてしまった。ポスト東日本大震災の希望とは何だろう。テロリストに着いて行きたいと思う。