村上龍 裏JMMの海岸 Q:1206

Q:1206
 桜の季節になりましたが、花見の自粛を求める声があり、またイベントやコンサートの中止も相次いでいるようです。今回の大災害で亡くなった方々、そのご遺族、そして依然として避難所や避難先で不自由で不安な暮らしを続ける人たちなどのことを考えると、そういった心情は理解できます。しかし、過度の「自粛」が「萎縮」につながるという指摘もあります。わたしたちは、今後の個々の「経済活動」において、どういう基本姿勢で臨めばいいのでしょうか。

 自粛を他人に強要するな。その一言に尽きると思う。

 震災の前と後では、時間の流れ方が違うような気がする。CD を買おうとする気もおきない、小説を読む気にもなれない。新しい何かをしようとする気持ちが失せている。原発のニュースを横目に、ただただ毎日が過ぎ去っていく。時間の垂れ流しだ。何も出来ない自分、何もしない自分。一方で社会人として暮らしていくには、何もしないで引き篭っているわけにはいかない。震災があったからと言って、社会は待ってくれない。結局のところ、震災前の日常を早く取り戻そうと必死になって頑張っている。

 花見というのは日常の一場面である。花見をする気分になれないと、自らが行わないのはもちろん自由だ。ただ、日常を取り戻そうとしている者に、あえて非日常を強要するのは言語道断。アレもいけない、コレもいけない。復興を成し遂げようとするダイナミズムは、こんな事から生まれない。

 被災地以外に住む者が日常を取り戻す事、これがまず第一歩のはずだ。