村上龍 愛と幻想のファシズム Returns! 3

 村上龍「愛と幻想のファシズム」。物語の最後でトウジとゼロを分断したのは生死です。生がトウジで死がゼロです。この分断の行為自体が不条理なのですが、それ以上に2人の永遠の別れが単純に悲しくないですか?

 ひとりの人間がこの世からいなくなる。トウジにとっても読者にとっても、大切な人を亡くすのは辛いです。でも失くしたのが概念だったら?

 ゼロの死を消化する事のできなかった僕のような読者は、トウジとゼロが同一人物だと考えてみたらどうしょう。つまり物語の最初からゼロという人物はいなかったのだと考えるのです。他の登場人物から見えるゼロは、実はトウジの持つ違った側面で、トウジとゼロだけの場面は、そのままトウジの心の葛藤を表している。物語の中のゼロとは、トウジの内面に潜むもうひとつの側面であり、言ってみればただの概念のようなものです。

 ゼロの死。そう考えるとトウジはゼロを亡くすとか失うというよりは、むしろゼロを克服するとか超越するといったようなカンジになりませんかね!

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