村上龍 ハバナ・モード MEN ARE EXPENDABLE VOL.8 7

 村上龍「ハバナ・モード」。姨捨て山ってあるじゃないですか。どうして老人を山に捨てちゃうかって、貧しさゆえの人口調節機能だと思ってたでしょ。確かにそうなんだけど、龍さんが2003年11月5日の「姨捨て山を拒否した二人の老人」というエッセイでこういう事を云ってるんですよ!

 「日本の共同体にフラクタルに存在する、強制力の象徴として機能した。悲劇的な慣習は、共同体の成員としての忠誠心を試される。これだけの悲劇を受け入れているのだという自己犠牲が、結果的に共同体内に緊張感のある結束と求心力を与える。個人は共同体に依存し、共同体は自己犠牲と忠誠の見返りに庇護を与える」。

 ほぉっ、スルドイ視点。言われてみればミョーに納得ですね。これは完全にアリです。本人達は人口調節機能としてやってたんでしょうけど。

 この頃は、共同体というのが完璧にワークしてたんですよ。生きる上での智恵ですね。あっ、現在はどんな共同体からも庇護はありませんから。