村上龍「愛と幻想のファシズム」におけるトウジのパラドックスというのは、読者のジレンマでもあります。
以前、狩猟社のテロに対する不快感は、道義的なものではなく、強者である組織が行うテロだから不快なのだと書きました。読者もまた、強者の組織とはシステムなんだと気付いているんですよね。だから不快に感じるのです。そこで1つのジレンマです。読者はトウジや狩猟社を応援しているにもかかわらず、成功を収めれば収めるほど不快感が増すのです。
もう1つのジレンマです。それはゼロに対する想いです。やはり同じように読者は、ゼロの狩猟社での活躍を期待しています。ところが夢の中に生きシステムに呑み込まれないゼロに、活躍の機会はなかなか訪れません。そして物語の後半では一転してゼロの飛躍が描かれるのですが、それと同時に狂気がゼロの体を蝕んでいくのです。
狩猟社がシステムである以上、読者のジレンマも終わることがありません。