村上龍 希望の国のエクソダス 8

 昨日は、急遽お休みいただきすみませんでした。代役のLouisに失礼があったかもしれませんがお許し下さい。

 村上龍「希望の国のエクソダス」は「愛と幻想のファシズム」と比較されて書評されているのをよく見かけます。ですが僕としてはどうもそれに違和感を持っちゃうんですよね。確かに閉塞した日本に、今までの概念では考えられない新しい勢力が登場し日本政府や国際金融資本と対峙するという点で、物語には共通性があります。

 ですが「希望の国のエクソダス」にはゼロが居ないんですよ。ポンちゃんを冬二に重ね合わせる事はなんとか出来ます。でもゼロが居ない。「希望の国のエクソダス」はゼロが居なくても成立する物語なんです。一方「愛と幻想のファシズム」はゼロが居なければ決して成立しない。もちろんどちらがイイとかの話ではありません。

 ゼロの存在。仮に両作品のそのほかの要素が全て酷似していたとしても、ゼロの存在の有無その1点だけで、物語の本質は全然変わるのではないでしょうか?